2019.02.25

目からウロコの教育史 第7回・ヘルバルト「私は,教授のない教育などというものの存在を認めないし,また,逆に,教育しないいかなる教授も認めない」

教育史に出てくる「名言」って一体何を意味しているの?
単に暗記するのではなく、マンガ&テキストでその「根っこ」を理解する「目からウロコ」のコーナーです。

ヘルバルトの構想した教育学の体系

 ヘルバルトは,『一般教育学』において,実践哲学(倫理学)と表象力学(心理学)を基礎とした教育学を構想しました。教育の目的を「道徳的品性の陶冶」としましたが,その根拠を実践哲学(倫理学)に求めました。その上で,教育の方法を「管理・教授・訓練」という3つに分けましたが,その根拠を表象力学(心理学)に求めたのです。
 「管理」とは,教育活動を妨げる障害を除去する措置のことです。「訓練」は,子どもたちが正しい方向をたどれるようにする働き掛けのことです。両者に共通するのは,子どもたちの心に直接働き掛けるということです。時には賞罰をともなうこともあります。
 「管理」や「訓練」と異なり,「教授」は教材等を通して心に間接的に働き掛けるものです。ヘルバルトは,教授をさらに分割し,「明瞭・連合・系統・方法」の4段階を設定します。4段階教授法と呼ばれるものです。
 「明瞭」とは「個々の事物(新たに学ぼうとすること)を明瞭にする」,「連合」とは「明瞭にされた事物をすでに習得している事物と比較する」,「系統」とは「連合された事物を体系化する」,「方法」とは「3つの過程を経て得た事物が他のものに応用可能になる」ということです。
 一般的に教授法といえば,教師がどう教えるのかということをまとめたものを想像しますが,ヘルバルトの4段階教授法は,教授法という言葉からイメージされるものとは少し異なります。この4つの段階は学習者が新しい知識を認知して取り込むメカニズムなのです。

「教育的タクト」の重要性

 このようなヘルバルトの体系は,学問分野の一つとしての「教育学」を作ったとも評価されています(初めて教育学のゼミナールを開講したという点も理由としてあるのですが)。では,何のためにこのような体系を構想したのでしょうか。
 タイトルの言葉の前の一節は,「教育学は,教育者にとって必要な科学であるが,しかしまた教育者は,相手に伝達するために必要な科学知識を持っていなければならない。」となっています。ヘルバルトの教育学は,教育者すなわち教師たちにとって必要な科学として構想されたということになります。
 ヘルバルトは,熟達した教師はさまざまな状況に臨機応変に対応する力量を持っていると言います。このような力量のことを,ヘルバルトは「教育的タクト」と呼びました。しかし,新人の教師はどうでしょうか。場数を踏んでいない新人の教師は,「教育的タクト」を持っている可能性は低い
と言わざるを得ません。
 そこでヘルバルトが考えたのは,「教育的タクト」を科学の力で補うという方策です。そう考えると,ヘルバルトの「4段階教授法」が「教師がどう教えるか」ではなく,学習者の認知のメカニズムであることも,容易に理解されます。臨機応変な対応を取るために必要な知識なのですから,このようにしさえすればよいというのでは,想定外の事態に対応しきれないからです。

段階教授法の展開

 ヘルバルトの教育学における「教授」は,段階教授法が大きな特徴です。段階教授法は,弟子筋の人々により継承されます。そうした弟子筋の人々は,「ヘルバルト学派」と呼ばれます。
 その一人であるツィラーも,段階教授法を継承します。彼はヘルバルトの言う「明瞭」を二分し,「分析・総合・連合・系統・方法」という5段階教授法を提唱しました。しかし,学習者の認知のメカニズムという点では同じです。
 一方,ラインは,「予備・提示・比較・概括・応用」という5段階教授法を提唱しました。5段階という段階数はツィラーのものと変わりませんが,段階教授法の論理は大きく転換されました。ラインの段階教授法は,学習者の認知メカニズムではなく,教師がどのように動くべきかを説くものです。
 ラインは1847年に生まれますが,ヘルバルトは1841 年に没しており,両者には直接の関係はありません。段階教授法が継承されていく中で,その意味も変化していったということです。

著・監修 吉野 剛弘(埼玉学園大学 准教授)

慶應義塾大学大学院社会学研究科教育学選考後期博士課程修了。日本教育学会、教育史学会所属。