2018.08.24

目からウロコの教育史 第1回・ソクラテス「汝自身を知れ」

教育史に出てくる「名言」って一体何を意味しているの?
単に暗記するのではなく、マンガ&テキストでその「根っこ」を理解する「目からウロコ」のコーナーです。

本当にソクラテスが言ったのか?

「汝自身を知れ」という言葉は、デルフォイのアポロン神殿の入口に刻まれた格言で、ソクラテスの言葉として知られています。しかし、実はこの格言を誰が言ったのかについては、諸説あります。つまり、「汝自身を知れ」という格言は、ソクラテスのものではないかもしれないのです(結び付けられるにはそれ相応の理由があるのですが)。ですが、それを確かめる術はありません。ソクラテスは、生涯で一冊も本を著していないからです。ソクラテスの思想と呼ばれるものは、すべて間接的に書かれたものです。
「汝自身を知れ」という言葉とソクラテスとが結び付けられるようになったのは、アリストテレス以降であるといわれています。ちなみに、アリストテレスはプラトンの弟子で、プラトンはソクラテスの弟子です。

ソフィストたちの存在

紀元前5世紀のアテナイでは、民主制が登場します。選挙によって市民の代表が選ばれていくことになりますが、政治的に成功を収めるには、人々を説得することが必要になります。今のように安価に紙が手に入る時代ではなかったので、雄弁によって人々を説得することが求められます。
政治的成功に野心を持つ者に雄弁術を教えたのが、ソフィストと呼ばれる人々です。雄弁術そのものに問題はありませんが、これを悪いように使うこともできます。
弁が立てばよいのなら、中身より聴衆にもっともらしく思わせればよいことになります。事実、ソフィストたちは相対主義(普遍的価値を認めない)の立場に立つので、何が真実かということには必ずしも重きを置きません。
プラトンの『プロタゴラス』では、ソフィストたちは、自分たちは徳とは何かが分からないのに、それを教えることができると称してお金を取り、「徳のようなもの」を教えている状況が描かれています。

「無知の知」

一方、ソクラテスは徳とは何かということを探究しました。しかし、徳とは何かということについて、ソクラテスが明確な答えを得たわけではありません。
ソクラテスがたどり着いた結論は、「無知の知」ということでした。ソクラテスは、カイレフォン(弟子)がデルフォイのアポロン神殿で「ソクラテスより賢い者はいない」という神託を受けたと聞きます。そんなはずはないと考えたソクラテスは、その意味を探るべく、賢人と目されている人たちを訪ねて回ります。すると、賢人と目される人たちは自分の専門とする分野のことは知っていても、人生において何が善いことか、何が美しいかはほとんど知らないことに気付きました。ソクラテスは、「自分もそうしたことを知らない。しかし、知らないということを自覚しているという点において、他の賢人とは異なる」と認識します。「無知の知」ということです。
この文脈で「汝自身を知れ」という言葉を理解すれば、自分は知らないという事実に正対せよということになります。

汝自身を知った人間の歩む道

しかし、知らないという事実を自覚するだけでは、人は何も変わりません。その上でどのようにするかが問題です。
ソクラテスは、人間は神エロスのごとく、美しいものや知恵を求める存在と考えました。エロスは、富と才智の神ポロスと、貧窮の神ペニアの子なので、満たされているけど満たされていない、満たされないがゆえに満たされようとします。持っていないから欲しいということです。
もし人間が神エロスのような存在ならば、知らないということを知れば、知りたくなります。しかし、何かを知ったところで、なお満たされていないことに気付いてしまうので、さらなる知を求めることになります。これに終わりはありません。

では、どのように「無知の知」に至ればよいのでしょうか。ソクラテスは街に出て、人々にさまざまな問いを投げ掛けました。問答によって相手の矛盾を引き出すことで、「無知の知」に至らせたのです。このような方法を「問答法(産婆術、ソクラティック・メソッド)」と呼びます。

著・監修 吉野 剛弘(埼玉学園大学 准教授)

慶應義塾大学大学院社会学研究科教育学選考後期博士課程修了。日本教育学会、教育史学会所属。