2019.04.02

目からウロコの教育史 第8回・エレン・ケイ「教育の最大の秘訣は,教育しないことにある」

教育史に出てくる「名言」って一体何を意味しているの?
単に暗記するのではなく、マンガ&テキストでその「根っこ」を理解する「目からウロコ」のコーナーです。

「教育をしない」教育とは

 スウェーデンの教育学者エレン・ケイの著書『児童の世紀』は,19世紀の最後の年である1900年に出版されました。タイトルの「教育の最大の秘訣は~」もこの本の有名な一節ですが,「次の世紀は児童の世紀になる」という言葉も有名です。
 さて,ケイの「教育をしないことが教育の要諦」という考え方は,ルソーの考えにも通じるところがあります。何もしないのが一番よいという逆説的な表現は,いかにも名言という印象もあります(だからこそ,採用試験対策としては覚えておかねばなりません)。
 というより,タイトルの一節は,ルソーを援用して議論を展開しています。少し長くなりますが,その部分を引用してみましょう。『ルソーはどこかで,「自然は,親を教育者に作らず,子どもを教育されるように作らなかったので,教育はすべて失敗した」と,言った。人びとがこの指図に従いはじめ,かつ教育の最大の秘訣は教育をしないところに隠れていると理解しはじめたら,どうなるか考えてもらいたい!』
 教育しないことが最大の秘訣というのであれば,一体どうすればよいのでしょうか。『児童の世紀』の別の部分では,「静かに,おもむろに,自然を自然のあるがままに任せ,自然本来の仕事を助けるために周囲の状態に気を配る。それが本当の教育というものだ」と述べています。子どもは自ずと成長するのであって,余計なことはしない方がよいということです。
 では,大人はどうあるべきなのでしょうか。『児童の世紀』は,大人がモデルとして子どもの前に存在しなければならないと言います。「子どもたちが何も言われなくても,自分の周りで善が行われているのを見れば,善を行うことを学(ぶ)」と言うのです。その意味では,教え込みを排除しつつも,さまざまな仕掛けを施して子どもを教育しようとしたルソーより,消極的な教育法にも映ります。

「子どもから('Vom Kinde aus’)」 の教育

 『児童の世紀』はスウェーデン語で書かれた本ですが,出版されて2年後に,ドイツ語の翻訳版も
出版されます。そして,スウェーデンよりも,翻訳が出たドイツで大きな反響を呼びました。
 詩人のリルケが「子どもから」思想の書物として絶賛。この「子どもから」という言葉は,ヨーロッパにおける新教育運動のスローガンのような言葉になっていきます。

進化論への傾倒と母性

 さて,『児童の世紀』の中では,母子関係の重要性がしばしば説かれます。母性には身体的なものと精神的なものがあるとされ,そのうち精神的な母性がとりわけ重要な意味を持ちます。精神的な母性は子どもの成長に必要なものであり,それが十分に発揮されるならば,社会の改善と人類の進化に寄与すると主張します。
 ケイによれば,女性が母性を発揮することは,男性が労働で生産性を上げるのと同様の意味を持ちます。ケイは,19世紀の女性解放運動は女性を男性と同様に扱うよう求めたと総括しますが,それゆえに今後は男性とは異なる独自の価値を女性に持たせる必要性を主張します。その鍵となるのが,母性なのです。
 母性が十分に発揮されれば,「人類の進化」に寄与するというケイの思想は,進化論から大いに影響を受けています。ケイは,子どもには「不可侵の人格の権利」があると考えますが,それは,「大人を超えてより高次の存在」へ向かう発達を阻害しないことを意味します。しかも,人類の進化のためには,優生学的な見地から人為的に遺伝を操作することすら容認しているのです。
 しかし,そこには矛盾が生じます。より高次に向かうためには遺伝的な操作も辞さず,母性を強調することで母である女性に教育的な働き掛けを正当化するなら,周囲をモデルに自ずと成長する自立的な子どもは,実のところ母親によって他律的に形成されることになってしまうからです。子どもに固有の文脈を認め,子どもの自立的発達を促すという考え方は,それ自体として有意義ですが,それを完遂するのは非常に難しい側面があることも忘れてはなりません。