教育史に出てくる「名言」って一体何を意味しているの?
単に暗記するのではなく、マンガ&テキストでその「根っこ」を理解する「目からウロコ」のコーナーです。
2019.05.23
教育史に出てくる「名言」って一体何を意味しているの?
単に暗記するのではなく、マンガ&テキストでその「根っこ」を理解する「目からウロコ」のコーナーです。
ブルーナーは,1959 年にウッズホールで開催された全米科学者会議で「発見学習」を提唱し,後に『教育の過程』という本にまとめました。タイトルの言葉は,『教育の過程』の中にある一節です。発見学習とは,それぞれの学問の本質となる「構造」を児童・生徒に「発見」させ,結論に至る過程を児童・生徒自身にたどらせることで,「学習の仕方」が学習され,学習する能力が伸張されるという考え方です。この考えに従えば,学校教育で提供される内容は,教科の内容に単純に寄り添う(「教科中心カリキュラム」)わけでもなく,子どもの興味・関心に単純に寄り添う(「経験主義カリキュラム」)わけでもありません。発見学習の考えに基づくカリキュラムは,それぞれの学問が持つ論理に寄り添うということから,「学問中心カリキュラム」とも呼ばれます。
20世紀前半のアメリカで進歩主義教育が花開いたことは,前号でデューイを取り上げた際に触れました。子どもの興味・関心に寄り添う進歩主義教育のあり方にはよい面がある一方で,子どもの興味・関心に寄り添い続ける限り,興味・関心を引かない事柄は学ばれることがないという問題が残ります。いつか興味・関心を持ってくれる可能性はあるでしょうが,それは楽観的にすぎると言わざるを得ません。
この問題が露呈したのが,1957年のスプートニク・ショックでした。この年の10 月4日,ソ連による人類初の人工衛星「スプートニク1号」が打ち上げに成功します。冷戦構造の中で,このことは西側諸国の政府や社会に大きな衝撃を与えます。西側諸国のリーダーであるアメリカではなおのことです。
スプートニク・ショックはさまざまな分野に及びますが,教育の世界にあっては,科学技術教育の必要性が主張されます。そこで標的にされたのが,子どもの興味・関心に寄り添う進歩主義教育のような教育のあり方です。
スプートニクのような人工衛星の軌道の計算には,高度な数学や物理学の知識が必要です。しかし,それらの知識は,私たちの日常とはかけ離れていることも事実です。子どもの興味・関心にのみ寄り添うようなやり方では,高度な科学技術を支える人材を育てることができないのではないかという疑念が生じます。
そうした中で開催されたのが,冒頭に述べたウッズホールでの全米科学者会議です。発見学習は,「構造」を発見させるプロセスを通して子どもの興味・関心を喚起するとともに,「構造」の理解を通して,学習内容の理解を容易にすることも可能だという考え方です。つまり,子どもの興味・関心を喚起しつつ,学習内容の分量も担保できるという点で,「児童中心」と「教科中心」のいいとこ取りを企図したものだったのです。
「発見学習」に基づくカリキュラムは,学問の論理に寄り添うため,経験主義カリキュラムと違うのはもちろんのこと,教科中心カリキュラムとも異なります。教科の内容は文化の本質(エッセンス)であっても,学問の論理にそって配列されているわけではないからです。
「発見学習」の登場に前後して,これまでの教育内容を再構成する動きが起こります。「教育内容の現代化」運動です。この運動は,主に自然科学系の教科で進んでいきます。「発見学習」の提唱は,「教育内容の現代化」に拍車をかけることになりました。
この考え方は日本にも入ってきます。1968(昭和43)年の学習指導要領改訂には,「教育内容の現代化」の考え方が取り入れられています。このときの学習指導要領では,小学校の算数で集合を教えることになりました(現在は高等学校で教える内容です)。
しかし,現代化の考え方が学校現場において十分に浸透していたわけではありません。学習内容が増えたことで授業のスピードが上がり(「新幹線授業」と揶揄されました),1977(昭和52)年改訂の「ゆとり教育」導入へとつながっていきます。
慶應義塾大学大学院社会学研究科教育学選考後期博士課程修了。日本教育学会、教育史学会所属。